骨董品の買取・福岡

福岡の骨董品/掛軸 陶磁器の買取 武具 切手 おもちゃの買取 着物 アンティーク 古美術の買取など骨董品を出張買取致します。もちろん店舗への持ち込みも大歓迎です。福岡県内外にて無料出張鑑定及び高価買取中!ホームページはhttps://hurumono.net/です。

焼物の雛人形買取りました

◎骨董品買取で福岡市南区へお伺いいたしました。

お人形や陶磁器、茶道具や掛軸、和楽器などを見積もりさせて頂きました。

その一つが下の写真の陶器製雛人形です。

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佐賀県嬉野市にてご活躍の陶芸家、持丸房子氏のお雛様です。
一年に一度、数点のみ焼かれるお雛様になります。

何とも言えない暖かな表情がとても優しい気持ちになりますね。

その他にも紫檀茶托や錫の茶托、抹茶茶わんなども買取させて頂きました。

ありがとうございました。

骨董品買取の福岡玄燈舎では陶器の雛人形買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100

籃胎漆器買取りました 骨董品買取福岡

コロナウイルスから解放まであと少し…がんばりましょう!

先日は福岡の春日市で骨董品の出張買取を行いました。

こちらのお宅では祖父が骨董品を集めていた様で壷や茶碗、茶道具や掛軸

鉄瓶や日本刀、甲冑などがズラリ所狭しと並べられていました。

すべて売りたいとの事で3日かけての査定と見積もりして昨日、車2台分の

量を積み込み持ち帰りました。

古美術品が沢山あった中、地味ですが写真のような籃胎漆器も沢山ありましたので紹介いたします。

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 九藍の籃胎漆器です。

らんとは竹で編んだかごのことを言います。
その籃を母胎として、幾重にも漆を重ね塗りし、磨いていったものを籃胎漆器と呼びます。
高級感のある漆細工ですが、籃胎漆器は意外とリーズナブル。さらに軽くて丈夫ということから、長い間人々に愛されています。
特に茶道の世界では、花入れはもちろん菓子器などにも使われる人気の素材なのです。籃胎漆器の始まりは、明和2年(1765年・江戸中期)。当時の久留米藩が、都の有名な塗物師・勝月半兵衛を招いて技術指導を得て、久留米漆器が特産品となりました。もともと久留米市の隣、八女地方は良質な竹の産地であり、様々な竹の工芸品が作られていました。明治18年には久留米藩御納戸役塗師・川崎峰二郎(川崎峰次郎)と竹細工師・近藤幸七、茶人・豊福勝次が共作して、竹籠の漆工芸品を作ります。これは久留米籠地塗と言われていました。
久留米籠地塗が籃胎漆器と呼ばれるようになったのは、明治28年に京都で国内勧業博覧会が開催された時のことです。やがて昭和天皇御即位(御大典・昭和元年)には、籃胎漆器屏風が献上品となり、昭和18年には、籃胎漆器が「国の技術保存工芸品」に認定されました。

骨董品買取の福岡玄燈舎では籃胎漆器を買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100

 

鼈甲製の帆船買取ました

◎福岡市中央区よりご連絡頂き骨董品の出張買取に出かけました。

こちらでは銀杯や酒器、陶磁器や茶道具など50点程の買取ができました。

その一つの写真の鼈甲製品です。

昭和中期に流行った鼈甲の帆船ですが現在ではなかなかこのような

本鼈甲で作られた工芸品は見られません。

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鼈甲とは南方の海域やカリブ海、インド洋の海域に生息しているウミガメの一種である

玳瑁(タイマイ)の半透明と黒褐色のまだらがある甲羅と爪、そして腹甲とを巧みに加

工、細工し、各種の装飾用具として作られたものをべっ甲(鼈甲)細工と呼んでいま

す。中国ではこの玳瑁細工の工芸品が6世紀末頃にはすでに作られ、8世紀の唐時代にな

ると盛んに制作されるようになったので、唐の朝廷は玳瑁や珠玉などを組み合わせて工

芸品を作るのは贅沢品であるとして、しばしば禁令が下されています。このように玳瑁

は古代より貴重品として取り扱われていました。日本では特に櫛(くし)、笄(こうが

い)、簪(かんざし)といった髪飾りの素材として重宝されてきました。また高級メガ

ネの枠としても扱われています。そのほかにもペンダント、ブレスレット、イヤリン

グ、カフリンクスなどジュエリー素材として、帯留めや煙草入れ、茶杓(ちゃしゃく)

といった伝統工芸品の材料としても珍重されています。

骨董品買取の福岡玄燈舎では鼈甲製品を買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100

レトロなキューピー人形買取りました

先日は骨董品買取の場面でおもちゃや人形などを査定させていただきました。昔のミニカーやプラモデルのほかに写真のキューピー人形がありました。銅製の古い物でした。

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キューピー (Kewpie) とは、1909年に米国のイラストレーター、ローズ・オニール(Rose O'Neill、1874年6月25日 - 1944年4月6日)がキューピッドをモチーフとしたイラストで発表したキャラクターです。
ドイツの複数の工場で量産されたビスク・ドール製のキューピー人形はアメリカで人気を博し、オニール自身の要請により日本でも同年(1913年=大正2年)作られることになります。当初はアメリカへの輸出向けとして作られていたが、のちに日本のオリジナルとも言うべき特徴を持ったキューピーも作られています。後述の楽曲、「おもちゃのマーチ」が1923年に発表されていることからもキューピー人形の誕生と普及については、ほぼ世界的に同時進行であった。
アメリカではコンポジション製のものが生産されるようになりますがこの技術はアメリカの特許で、パルプ系の材料を粘状にしたものを造形して樹脂などで固めるものであり、磁器製の物よりも技術的な造作の自由が効くという利点があったようです。
1925年以降になると材質はセルロイド製が主流になります。第一次世界大戦で疲弊したドイツに代わり日本がセルロイド製品を多く手がけるようになり(当時日本統治下の台湾には、樟脳の原料になるクスノキが豊富だった背景がある)、着色が容易なことからカラフルなキューピーが登場します。燃えやすいなどの欠点が指摘され始めて以降はソフトビニール製のキューピーが主流となりました。(1954年に、アメリカはセルロイド製の玩具を輸入禁止としている)キューピー人形の高いものは黒色のキューピーや

怖い顔のキューピー、羽が生えているキューピーなどがレアで高く売れる可能性があります。

骨董品買取の福岡の玄燈舎ではキューピー人形を買取します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100

九谷焼の玉乗り獅子を買取しました

九谷焼もいろいろな作品がありますが今回の骨董品買取では

玉乗り獅子を一組買取致しました。

吉祥の瑞獣(ずいじゅう)として風水でも優れた力を持つと言われる「獅子」です。「仕事運」「財運」を招きながらも、運気が下がる邪気などは追い払う魔除けの力を持つとも言われています。職人により、九谷焼の伝統技法である「盛」を駆使して細部までこだわって描きあげられ、立体的な伝統美術工芸作品として、見る人を魅了する作品に仕上がっています。

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写真の獅子には一か所補修がありますが凛とした表情に何か優しさを感じる目、

とても良い置物です。骨董品とまではいきませんが美術品縁起物としても

人気があります。この他にも古伊万里などの骨董品や仏像も譲っていただきました。

骨董品買取の福岡玄燈舎は獅子を買取ります。お気軽にお問い合わせください。

受付年中無休 電話050-3569-2100

鎌倉彫の漆器買取りました

古いおお宅に伺いますと必ずお目にかかる漆器類。そのほとんどが現在は使用していないため変色や欠け、割れやひびなどができてしまっています。お盆やお膳、椀など昔は日本では自宅で人を呼んで御もてなししていたために各家庭で人数分を揃えておりました。今回の骨董品買取でも漆器類の査定をしました。その中で「鎌倉彫漆器」の買取をさせて頂きました。

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鎌倉彫の歴史は鎌倉時代には禅宗文化と共に中国との交易が盛んになり、中国の宋から伝えられた彫漆(ちょうしつ)という工芸品が日本にも伝わりました。その工芸品に影響されたものが鎌倉彫の始まりとされています。彫漆とは、漆を塗り重ねた面に複雑な文様を彫刻したもので、高度な技術が必要とされる工芸品でした。当時の寺院では、仏像をはじめとして仏具などの制作に携わっていた仏師が多く、高度な木彫り技術を持っていたこともあり、それを模して生み出されたのが鎌倉彫です。まだ、鎌倉彫とは呼ばれていない時代ではありますが、これが鎌倉彫のもとになっています。室町時代には茶の湯の興隆とともに茶道具として大いに珍重されました。これらの仏具や茶道具の制作に携わっていたのは仏師でした。しかし、明治新政府の公布した神仏分離令は、廃仏釈の運動を引き起こし、寺院の衰退から仏師の仕事は激減しました。この頃、鎌倉では、多くの仏師が転職を余儀なくされる中で、二人の仏師が活躍します。一人は後藤齋宮(ごとういつき)、もうひとりは三橋鎌山(みつはしけんざん)でした。二人は仏像彫刻の技術を生かしながら、新しい活路を鎌倉彫に見いだし、今日の発展の基礎を築きました。また鎌倉彫は、カツラやイチョウなどの木を用いて木地を成形し、文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた工芸品で、鎌倉市及びその周辺地域で作られています。そんな鎌倉彫は状態の良い物や細工の細かい物が特に高く売れますので大切に保管していてください。骨董品買取の福岡玄燈舎では鎌倉彫の漆器を買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100

会津若松の文箱買取りました

古い漆塗りの器でなかなか状態の良い物は残ってないですが今回の骨董品買取の場面では輪島塗、会津塗、春慶塗などの器や箱ものが沢山出てきました。福岡市城南区での出張査定で漆塗りの価値を知りたいとお電話がありましたので伺い買取致しました。

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この写真の文箱は会津若松の「文箱」です。とても状態が良く変色も見られませんでした。会津塗とは今から500年程前の室町時代、芦名氏が漆樹の植樹を奨励したのが始まりで天正年間(1573~92年)蒲生氏郷が近江より職人を招き、その技法を会津に広め漆工養成と技術の進歩を図り、一躍産業化されました。
朴、栃、欅等を木地として日用品漆器を生産し消粉・色粉などの蒔絵と沈金に特徴があり日本人好みの縁起の良い意匠や、多彩な加飾法が楽しめ、渋味のある「鉄錆塗」もみ殻をまいて模様を出す「金虫喰塗」木目の美しい「木地呂塗」、美しい塗肌の「花塗」が特徴です。昔より会津塗は、お椀や重箱、菓子鉢など、昔から人々の暮らしとともにある漆器として親しまれてきました。そして上に記したように堅牢な塗りと沈金、朱磨き、蒔絵などの優美な意匠で全国に広まりました。特にうるし絵は会津独特のもので、筆に色漆を含ませ、丹念に模様を描いた漆器は、塗りの美しさと相まって見事な逸品となります。そんな会津塗の器は状態の良い物や伝統工芸士の手によるものなどが高く売れるようです。未使用品はもちろん共箱の物など大事に保管していてください。
骨董品買取の福岡玄燈舎では会津漆器を買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100