走波焼の花瓶買取りました
◎骨董品買取でもよくご依頼がある陶磁器の見積もりに福岡市中央区に
伺いました。あるお茶道具や着物のほか切手や古銭や骨董品の仏像や掛軸なども
査定させていただきました。
写真の花瓶は走波の花入れです。
小さくて手のひらに乗りそうな可愛い焼物です。
文化3年、京都から招かれた画工『臼井走波』によって『走波焼』が完成されました。
走波焼は今から約250年前、佐賀鍋島藩の支藩『蓮の池藩』の藩窯に画工
『臼井走波』を京都より招聘し走波焼が完成しましたが
陶器から磁器への時代の流れに走波焼は衰退し消えてしまいました。
しかし所を佐賀県有田に変え伝統を継承しつつ現代に蘇ったのが今の走波焼です。
骨董品買取の福岡玄燈舎では走波焼の器を買取り致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
ビスクドール買取りました
◎福岡市中央区で出張骨董品買取を行いました。写真のようなビスクドールや市松人形などフィギュアや人形のコレクターさんのお宅からお声がかかりました。写真のビスクドールは顔以外も手足や胴も薄い磁器でできている人形です。
ビスク・ドール(英語: Bisque doll、フランス語: Poupee en biscuit)は、19世紀にヨーロッパのブルジョア階級の貴婦人・令嬢たちの間で流行した人形である。前身にあたる陶器の人形は1840年代よりドイツで作られていた。磁器製であったことに端を発して、チャイナドール(英語版)(ポーセリン人形 ・磁器人形)とも呼ばれる。これらは100年以上が経過した現在、アンティーク・ドールと呼ばれる。
ビスク・ドールの「ビスク」とは、お菓子のビスケットと同じく、フランス語の「二度焼き=ビスキュイ(biscuit)」が語源である。人形の頭部、場合によって手や全身の材質が二度焼きされた素焼きの磁器製であったことに端を発している。当初は陶土を型に押し込んで作られたが、後に量産可能な液状ポーセリンの流し込みで作られるようになった。前者をプレスドビスクといい、後者をポアードビスクと呼び区別している。ポアードビスクの技法は1885年頃からあるようである。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではビスクドール買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
フォンタニーニ人形買取りました
◎コロナウイルスが落ち着き始めている昨今、
今回の骨董品買取は福岡市内からのご依頼です。
多数ある中、イタリア製の磁器食器や人形もありました。
写真はその一つ、イタリアアンティーク「フォンタニーニ」です。
フォンタニーニは1908年 Emanuele FontaniniがイタリアのBagni di Luccaでワークショップを設立した由緒あるブランドです。家族経営を維持しながら世界的に有名になりました。 陶器とプラスチックを合わせたような(割れにくい堅いゴムのような)独特の風合いのある素材で精緻な置物です。フォンタニーニはキリストの降誕 (Nativity)を題材にした作品群などで有名です。 根強い人気を誇り、長年のコレクターも多いです。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではイタリアンアンティークを買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
籃胎漆器買取りました 骨董品買取福岡
◎コロナウイルスから解放まであと少し…がんばりましょう!
先日は福岡の春日市で骨董品の出張買取を行いました。
こちらのお宅では祖父が骨董品を集めていた様で壷や茶碗、茶道具や掛軸
鉄瓶や日本刀、甲冑などがズラリ所狭しと並べられていました。
すべて売りたいとの事で3日かけての査定と見積もりして昨日、車2台分の
量を積み込み持ち帰りました。
古美術品が沢山あった中、地味ですが写真のような籃胎漆器も沢山ありましたので紹介いたします。
九藍の籃胎漆器です。
籃とは竹で編んだ籠のことを言います。
その籃を母胎として、幾重にも漆を重ね塗りし、磨いていったものを籃胎漆器と呼びます。
高級感のある漆細工ですが、籃胎漆器は意外とリーズナブル。さらに軽くて丈夫ということから、長い間人々に愛されています。
特に茶道の世界では、花入れはもちろん菓子器などにも使われる人気の素材なのです。籃胎漆器の始まりは、明和2年(1765年・江戸中期)。当時の久留米藩が、都の有名な塗物師・勝月半兵衛を招いて技術指導を得て、久留米漆器が特産品となりました。もともと久留米市の隣、八女地方は良質な竹の産地であり、様々な竹の工芸品が作られていました。明治18年には久留米藩の御納戸役塗師・川崎峰二郎(川崎峰次郎)と竹細工師・近藤幸七、茶人・豊福勝次が共作して、竹籠の漆工芸品を作ります。これは久留米籠地塗と言われていました。
久留米籠地塗が籃胎漆器と呼ばれるようになったのは、明治28年に京都で国内勧業博覧会が開催された時のことです。やがて昭和天皇御即位(御大典・昭和元年)には、籃胎漆器の屏風が献上品となり、昭和18年には、籃胎漆器が「国の技術保存工芸品」に認定されました。
骨董品買取の福岡玄燈舎では籃胎漆器を買取ります。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
鼈甲製の帆船買取ました
◎福岡市中央区よりご連絡頂き骨董品の出張買取に出かけました。
こちらでは銀杯や酒器、陶磁器や茶道具など50点程の買取ができました。
その一つの写真の鼈甲製品です。
昭和中期に流行った鼈甲の帆船ですが現在ではなかなかこのような
本鼈甲で作られた工芸品は見られません。
鼈甲とは南方の海域やカリブ海、インド洋の海域に生息しているウミガメの一種である
玳瑁(タイマイ)の半透明と黒褐色のまだらがある甲羅と爪、そして腹甲とを巧みに加
工、細工し、各種の装飾用具として作られたものをべっ甲(鼈甲)細工と呼んでいま
す。中国ではこの玳瑁細工の工芸品が6世紀末頃にはすでに作られ、8世紀の唐時代にな
ると盛んに制作されるようになったので、唐の朝廷は玳瑁や珠玉などを組み合わせて工
芸品を作るのは贅沢品であるとして、しばしば禁令が下されています。このように玳瑁
は古代より貴重品として取り扱われていました。日本では特に櫛(くし)、笄(こうが
い)、簪(かんざし)といった髪飾りの素材として重宝されてきました。また高級メガ
ネの枠としても扱われています。そのほかにもペンダント、ブレスレット、イヤリン
グ、カフリンクスなどジュエリー素材として、帯留めや煙草入れ、茶杓(ちゃしゃく)
といった伝統工芸品の材料としても珍重されています。
骨董品買取の福岡玄燈舎では鼈甲製品を買取致します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
レトロなキューピー人形買取りました
先日は骨董品買取の場面でおもちゃや人形などを査定させていただきました。昔のミニカーやプラモデルのほかに写真のキューピー人形がありました。銅製の古い物でした。
キューピー (Kewpie) とは、1909年に米国のイラストレーター、ローズ・オニール(Rose O'Neill、1874年6月25日 - 1944年4月6日)がキューピッドをモチーフとしたイラストで発表したキャラクターです。
ドイツの複数の工場で量産されたビスク・ドール製のキューピー人形はアメリカで人気を博し、オニール自身の要請により日本でも同年(1913年=大正2年)作られることになります。当初はアメリカへの輸出向けとして作られていたが、のちに日本のオリジナルとも言うべき特徴を持ったキューピーも作られています。後述の楽曲、「おもちゃのマーチ」が1923年に発表されていることからもキューピー人形の誕生と普及については、ほぼ世界的に同時進行であった。
アメリカではコンポジション製のものが生産されるようになりますがこの技術はアメリカの特許で、パルプ系の材料を粘状にしたものを造形して樹脂などで固めるものであり、磁器製の物よりも技術的な造作の自由が効くという利点があったようです。
1925年以降になると材質はセルロイド製が主流になります。第一次世界大戦で疲弊したドイツに代わり日本がセルロイド製品を多く手がけるようになり(当時日本統治下の台湾には、樟脳の原料になるクスノキが豊富だった背景がある)、着色が容易なことからカラフルなキューピーが登場します。燃えやすいなどの欠点が指摘され始めて以降はソフトビニール製のキューピーが主流となりました。(1954年に、アメリカはセルロイド製の玩具を輸入禁止としている)キューピー人形の高いものは黒色のキューピーや
怖い顔のキューピー、羽が生えているキューピーなどがレアで高く売れる可能性があります。
骨董品買取の福岡の玄燈舎ではキューピー人形を買取します。お気軽にお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100